2012年11月30日金曜日

いまだつきざる内に、はやくうれひ生ず


 自分の欲望の赴くままに楽しんでいると、その楽しんでいる途中から既になにか物足りないものを感じたりすることがあるね。楽しんでいる最中なのに、なにかもう心配事が出てきたり苦しみが出てきたりすることがあるね。

 飲んだり食べたりする時だって、食べた~いと思うものを食べ始めてもどんどん食べているうちになにやらもうお腹がいっぱいになって苦しくなってきたりするね。人によると、もう次に何を食べたいかなんてことを口にし出す欲張りさんもいるよ。飲みた~いと思っていたお酒だって、飲み始めはめっちゃ幸せな雰囲気なんだけど、杯を重ねているうちに、オエッ、となってきたりするねぇ。中には、次にはあのお酒、さらに次には別のあんなお酒が飲みた~いなんて言い出す人がいるよ。

 欲望の追求といっても限度を超えると、かえって自分を苦しめることになるなんてこと、身の回りには山のようにあるとおもうけど、なんか求めちゃうんだよね。その上、いままさに欲望満たし中なんてときに、もう別の欲求を並べ立てたりなんてするね。それって目の前の幸せを十分味わえていないよね。

 次から次に、手に入れたいものを考えるばかりで、今ある幸せを十分味わえない人って、多分一生幸せを感じる事ができないし、欲望の追求で、体を壊しちゃったりすることになるよね。

2012年11月29日木曜日

慾をこらゆるは長命の基也


 寿という字は、命が長いことを表しているんだね。やはり長生きはめでたいことなんだね。これに対し夭というのは、若々しいという意味もあるけれど、命の短いことを表すんだね。

 めでたい方を目指すためには、やはり欲望というのをコントロールしてもらわにゃならんみたい。一時の快楽や欲望に身を任せれば、せっかくあるはずの100年の人生をグッと短くしてしまう。

 欲しいままにするか、ちょいと我慢するか、そこが寿と夭との分かれ道だぜ。

2012年11月28日水曜日

心は楽しむべし


 心のあり様というのはとても大切。心の持ち方一つで、世界の見え方も変わってくるもの。できれば辛いことでもそこに苦しみを見るのではなく、愉しみや喜びを見たいもの。ちょいとむつかしいけど、視点を少し変えるだけで随分心が楽になる経験をしたことがあれば、わかるよね。むつかしいことも多いけどね。

 体の方は楽をさせ過ぎちゃいけないよ。身をよく動かして、あまり休め過ぎてはいけないのよ。自分の身を甘やかして、美味しいものを追い求めては食べ過ぎ、お酒を過ごし、色欲に走り、ダラ~っとして、サボっては寝てしまうなんていう生き方、チョイと魅力的かもしれないね。でもね、自分の身可愛さのこれらの所業が結局己の体を傷つけちゃうんだなぁ。

 薬好きの人も注意だよ。別に病気でもないのに、滋養のためなんて言って、やたらとお薬を口にする人がいるけど、これなんかも自分の体可愛さから、かえって病を引き寄せたりするんだなぁ。この場合の薬というのは、現代の病院でもらう西洋薬というイメージではなくて、漢方薬の中で身体に足りないものを補う補薬と言われるものや、現代の滋養強壮薬とかサプリなんて言われるもののイメージだよ。

 子供のことをかまいすぎて、かえって子供をダメにするってことあるよね。自分の体を大事にしようと思いすぎて、かえってダメにすることもあるんだね。

2012年11月27日火曜日

人の身は至りておもし

 雀を捕まえようとして、高価な宝石を石の代わりに投げたりする人を見れば、誰だって愚かなことだと思うよね。ろうそくの代わりにお札を丸めて火をつけたりしたら、頭がおかしいんじゃなかろうかと思うよね。

 人の体というのは、とても大切で貴重だよね。だのに、ちょっとした欲望を満たすために、その大切な体を傷めてしまうことというのを、人はちょいちょいやってしまうんだなぁ。これって、大したものでもない物を得るために、大切なものを傷つけたり、失ったりするのと似ているでしょう。

 今生きているというのは、体あってのもの。体の大切さを頭に置いた上で、価値の軽重というものを、よーく考えて、自身の行動を律するようにしなくちゃならない。・・・まぁ、私が実行できるかどうかは、別次元の話。各自がよくよく考えておくれ。

2012年11月26日月曜日

養生の道は、恃(たの)むを戒(いま)しむ

 何事も過信するというのは大きな失敗の元となるようです。

 自分の体は丈夫である、まだまだ若い、もう病気が良くなって気分が良くなってきた、などということを当てにして無理をすると、それは自分の身に返って来るんだなぁ。

 よく切れる刀だって、あまり硬いものを切ろうとすると刃がこぼれ、時には折れてしまったりするもんだ。

 自分には気力があると過信して、いろいろな人と交流し、気を遣い過ぎれば気力も萎えてしまうさ。

 消化器系統が丈夫さをあてにして食べ過ぎたり、精力があると色欲をもとめすぎれば、そりゃ病気になりますよ。

 まあ、どんなことでも調子に乗りすぎないことだね。

2012年11月25日日曜日

日長き時も昼臥すべからず


 昼が長い季節でも、昼間に体を横たえてしまわない方がよい。昼間の疲れで体力を消耗したなぁという時も、夕食のあとに片付けなどで体を動かし、少し歩くのがよい。そのあと少し体を横にしてもいいけれど、寝てしまっちゃあいけないよ。横になるのも長くしていてはだめ、すこし体を休めたらまた起きなければいけない。

 このようにしていれば、疲れたからといって無闇に早く眠ってしまうこともなく、生活のリズムを乱すこともないよ。 ただ、本当のところは、昼が長くて夕方には疲れちゃったなんて時も、横にならないままでいる方が良いんだけどね。

2012年11月24日土曜日

昼は必(ず)臥すべからず


お酒や食べ物が十分消化しないうちに横になって寝ると、酒食がよくめぐらず滞って体調を壊しちゃうからやめましょう。

昼間のうちは、横になって寝てしまうなんてことはしないように。体を休めているようで、逆に元気がなくなっちゃうよ。

こりゃ疲れたわいという時には、何か後ろに寄りかかって少し眠る位にしておこう。もしどうしても横になりたい時は、少ししたら起こしてもらうこと。昼間に長く眠ってしまうと、体はだるくなり、リズムも乱れ、体調崩しまくりだよ。

ただし、これは大人のこと。赤ちゃんなんて、寝ちゃ起きの繰り返しでかなりの時間眠っているけど、これは成長にとって大切らしい。本当は、小学生や中学生の年齢でも、昼間に短時間は眠る必要があるらしいが、現代の学校はそれを許さない。大変だねぇ。

2012年11月23日金曜日

千金方


千金方という唐代の医書があるそうです。主には漢方処方集という感じらしいですが、鍼灸に関する記載もあるそうです。その中の言葉として、「久しく行き、久しく坐し、久しく臥し、久しく視ることなかれ」と述べられているとのこと。

疲れ果てるまで行動すること、ずっと座っていること、ずっと体を横たえていること、いつまでも何かを見続けることを諌めています。

現代では、健康のためと、とことん体を鍛える人も見かけますが、もともとスポーツなんていう発想は昔にはなかったことだし、やりすぎはなんにしろ体に障りますよね。

また、テレビにしろ、コンピューターにしろ、ゲームしろ、漫画にしろ目を酷使するということも諌めているよ。唐の時代に、そんなに目を酷使することがあったのかなぁとも思いますが、逆にその頃の人から見ると、現代人の目の使い方は狂気の沙汰なのかもしれませんね。

動きすぎず、休みすぎず、無理なく流れていく。何か人生訓のようにも見えてきますね。

流水腐らず

 呂氏春秋という書物の中に「流水腐らず、戸枢(こすう)(むしば)まざるは、動けば也。形気もまた然り」と書かれています。

 いつも流れている水は、濁ったり腐ったりすることはないよ。

 毎日使われている扉の軸受は虫に食われたりせず、滑らかに開閉できるよ。

 動いているからなんだね。

 人の体も同様。動いている、動かしていることが大切なのだ。

 テレビの前やコンピューターの前にどっかと座り、傍らにはポテトチップスにコーラ、なんて良いわけがないよね。

 一所にじっとしていると、心身の循環が悪くなり病気にかかりやすいよ。食べてすぐ横になるというのが最もよくない。夜も十分食べ物が消化されないうちに寝てしまったりすると、様々なもののめぐりが悪くなり体に障る。ここのところ肝に銘じてね。

2012年11月22日木曜日

人の身は労動すべし

 神医と呼ばれたと言われる伝説の名医、華佗。その人の言葉に、「人の身は労動すべし。労動すれば穀気きえて、血脈流通す」があるそうです。

 まさに養生の要諦ですね。

 欲をコントロールし、小まめに体を動かし、手足を使い、歩き、同じ場所にだらだらじっとしていることなんてなければ、すべてのめぐりがよくなります。

 今の世の中は随分便利になり、身を使うということを意識的に行わなければ、じっとしている時間が多くなりがちです。でもジム通いまでしなくても、見回せば体を使う身の回りの仕事というのは、かなりたくさんあると思いますよ。

2012年11月21日水曜日

動にも静にも久しかるべからず


 立っているものは親でも使え、なんてことをいいます。まあ、そんなこともあって良いでしょうが、自分が動く、自分のことは自分で行うというのが基本だと思いますね。

 人に何かをしてもらったりさせたりというのは、楽なようですが、全てが思い通りというわけにはいきません。人を介して何かを行うというのは、なかなかむつかしく、気も使います。

 その点、日常の自分に必要なことを、自らが行えば、自分が思うように、またすぐに事が整うわけです。

 また、体を動かせば、心身のいろいろな循環が良くなり、食べ物の消化も良くなります。さらには人を使う心労がなくなります。いいことづくめじゃん。

 まあ、あまり動きすぎても疲れますので、その時は人に頼むこともあるでしょう。しかしだらだらし過ぎては、これもまた体に障ります。動と静とを、日常の中でバランスよく配していきたいものですね。

2012年11月20日火曜日

食後にだらだらしちゃいけないよ

 朝は早く起きて、洗面を行い、今あることに感謝しましょう。

 食後には、お腹をやさしくなでさすって、食気をめぐらせる。さらに腰のほうも下に向けて撫ぜ、腰の下のほうを軽く叩いてあげる。もし上腹部の膨満感を感じたならば、顔を上に向けて何回かげっぷをしてしまいましょう。

 食後には何時までも座ったままでいたり、そのまま眠ってしまったりなんてことをしてはいけません。眠ってしまうと、せっかく食物から取り入れた気が巡らず、逆に滞ってしまってからだの調子を壊しやすいよ。

 できるならば、食後にはゆっくり300歩ほど歩くと良いね。もう少し長く歩いたって良いよ。ただし運動をするなんて言う意識は持たずに、無理せずゆっくりあるいてね。

2012年11月19日月曜日

理気


 進む道としてよろしくないものとして、益軒さんは三つ挙げている。

 俗人の道。欲のおもむくままに生きている上に、礼や儀にも反した態度を示し、気を養うというようなこともしない。これは、万物を成り立たせている、理と気の二つを共に失う道である。

 仙術士の道。仙術の士というのは、仙人をイメージすれば良いのでしょう。気を養い、様々な術を身につけることには懸命だが、世の道理というものを好まず礼儀というものを気にしない。理を失う道である。

 陋儒の道。この陋儒(ろうじゅ)という言葉がよくわからないのですが、陋というのは場所や心が狭いことを示し、儒というのは儒教に通じる言葉でしょうから、理に凝り固まって偏狭な人という意味だと思われます。こういう道は、理に偏って気を養うということを忘れる道である。

 養生の道は、理も気も養うことを目指す必要がある。

2012年11月18日日曜日

むねの中一所にあつむべからず


 心配、憂い、怒りなどがあると、胸にギュッとくるという感覚は、多くの人がお持ちだと思います。そのような感情があると、気というものが胸の一ヶ所に滞ってしまうからでてくる感覚なのでしょう。

 気はめぐらさなくてはなりません。体全体に行き渡るような感覚でしょうか。しかし七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)が起こるとどうしても胸に気が滞ってしまいます。それが過ぎると病の元となります。

 七情が起こっても、気を巡らす意識を持てば良いのかもしれません。さらに良いのは、泰然として七情自体があまり激しく起こらないようにコントロール出来ることかもしれませんが、そこまで行くと悟りの境地かもしれませんね。

つつしまざるよりおこる


 元気でいるには、医療に頼るよりも、日々の養生を大切にする方が良いと思います。口、お腹、耳、目にはそれぞれ欲があって、体に障るようなものも多いものです。

 養生の道として

 孟子は  欲を少なくするのが良い

 宗の王昭素は  身を養うことは欲を寡くするのに勝ることなし

 省心録には  欲が多いと生を傷つける

と述べられてきているように、多くの病は自分の欲をこらえきれずに生じるものらしいです。そこのところを肝に銘じましょう。

2012年11月17日土曜日

慎(つつしむ)を専(もっぱら)とす。


 自由気ままに、やりたいようにやっていたい。まあ、だれでもそうでしょうね。でも、欲望のおもむくままに行動し慎みのない生活をしていると、まあ体を壊しますな。

 川にかかる細い橋を渡るとき、落ちたりしないか、橋が壊れはしないかと恐れ、用心しながらまた無茶を慎みながら歩を進めるでしょう。そのように、日々の生活も用心深く過ごすことが大切です。

 若いうちは体力があるので兎角無茶をしがちです。まあその時は過ごせても、後で病が追いかけてくることがあります。高齢になれば、当然体の抵抗力も落ちているわけですから、ちょっとの無理がそのまま命に関わるというようなこともあるでしょう。

 慎み深く、日々を送ることが、養生にとって大切な心構えです。

2012年11月15日木曜日

未病を治す


 野球の名選手は前もって球筋を予想し瞬時に移動を開始するから楽に補給できかえってファインプレーには見えないといいます。孫子も、兵の使いかた動かし方が上手な指揮官は無駄に戦闘をしないで済むようにするので、かえって大いなる手柄は得ないものといいます。

 病気になるとそれ自体が苦しく大騒ぎになる上に、苦しい様々な治療を施されることもあります。なかなか劇的ですが、病を得なければこんなことにはなりません。養生を身につけている人は、大病になることが少ないので、当たり前の生活をしているようにみえて、実は大いなる幸いを得ているのです。

 欲を制御し、身に障るようなストレスを防げは、多くの病は防ぐことができます。戦わずして勝ち、未病のうちに体調を整え治すということです。

2012年11月14日水曜日

一時心に快き事は、必後に殃(わざわい)となる


 基本的に身体が快を感じることというのは、体にとって喜ばしいことなのだと思います。でも心に心地よいことが良いとはかぎりません、特に過ぎると宜しくないようです。

 心に快を感じるようなことは、過ぎると必ず後に禍を引き起こします。飲食を欲に任せて過ごすと、後で苦しむことになりますし、ひいては病気になるような具合です。すこし我慢できれば、飲食がもとで体を壊すようなことも少なくなるでしょう。

 一時の欲を少しこらえるという心のありようが、体を守る上でとても大切なわけですね。

2012年11月13日火曜日

心につねに主あるべし


 我を忘れて何かに没入する、という時間を持てることは嬉しいことです。でも普段はそんなことはありません。そんな時、養生を実践しようという人は、自分をコントロールできる意思、監視役、主人という物をしっかり自分の中に持っておく必要があります。思慮し、欲を制御し、日常を送ることが必要です。

 そういう主となるものを持っていないと、欲望の赴く方、楽をしたいと怠惰に流れる方へと進み、身体を長持ちすることが難しくなってしまうのです。

 日々をわきまえ、心身を整え、快適な日々を、長く味わいたいものです。

2012年11月12日月曜日

流行



流行といえば、はやりとかトレンドとかいう言葉を思い出します。実際多くの場合そういう意味でしか使われませんし、河の流れのように物事が世間に流れ出て広がるといういみがもともとですからちっとも間違いではありません。

ただ益軒さんは、この言葉をもともとの流れ行くという意味で使っているようです。「気血よく流行して云々」という具合にです。

気や血は体の中をよくめぐり、滞らないことが大切です。河の流れが澱めばそこの水が濁るのと同様、滞ると宜しくないようです。気や血が流行しないで、上半身に滞れば頭痛やめまいを、中程にとどまれば腹痛を、下半身に停滞すれば腰痛などを引き起こすことになるのでしょう。

流行をよくするには、日常生活の中で体をよく動かすことが大切ですよ。

2012年11月11日日曜日

無病長生は我にあり


慎み深く養生を実践していれば、無病長生を得る可能性は高くなります。お金持ちになろうと、人の機嫌を伺い、神頼みしたりしてもなかなかそうはなりませんし、かりになれたとしても、病を抱えたり短命で終わったりしてはその甲斐もありません。日々の養生に如くはなしです。

人生は、体あってのものですからね。

2012年11月10日土曜日

福と禍とは、慎と慎しまざるにあり


 自分の体力に自身のある人は、自身の体を過信しつい無理をしてしまう、という面はあるでしょう。自身の体調に心をくばり、養生の術を実践しなければ、せっかく強く生まれついても、天寿を全うせず早死にしてしまう人も少なくないでしょう。 無茶をして早世してしまうのは、天が与えた禍ではなく、自らが作り出してしまった禍です。

 もともと体が弱いと感じている人は、用心して畏れ慎むので、かえって長生きになることも多いように思います。結局命の長い短いは、普段の生活を慎み深く生きるか、慎みなく生きるかによるという面が大きいものなのかもしれません。

 白楽天も「福と禍とは、慎と慎しまざるにあり」といったとのことですが、まさに養生にも当てはまる言葉でしょう。

2012年11月9日金曜日

莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る



 あと少し、あと一杯を我慢できずに日々を過ごしていると、病につながることがあります。少し体調を崩した、位から大病に至ることもあります。

 ちょっとした禍が大きな禍へと転じていくわけですね。ちょっとした火が、大火へとつながっていくのと似ています。

 大食や大飲が習慣になっているならば、意識してコントロールしましょう。あとになっては、取り返しがつきません。飲食欲以外の欲についても、少しこらえることを覚えましょう。なかなか実行に移すのが難しいですが。

2012年11月8日木曜日

言をすくなくすべし



 沈黙は金、などという言葉は死語になったのでしょうか。漫才ブーム以降、やたらとしゃべる人が増えたような気がします。なんてことを書く私も、以前に比べてずいぶん無駄口をたたくようになってしまいました。ただ、大騒ぎするような喋り方をすると、後に虚脱感がのこります。

 言葉を慎み、無用なことは言わず、おしゃべりを少なくすることを益軒は勧めています。おしゃべりが過ぎると気が減るうえに、気がのぼりなんだかボーッとなり、元気を損なうということです。

 また、言語を慎むということは、無駄に気を減らさないという養生の道であることに加えて、人徳を養う道でもあるようです。

2012年11月7日水曜日

三慾を忍ぶ

 三つの欲として、飲食欲、色欲、そして睡眠欲が挙げられています。飲食への欲や色欲をコントロールすることが養生には大切なことはわかりますが、眠りすぎも欲と捉えています。

 昼間充分体を動かして、夜になれば眠るというのは全く問題なしですが、それ以外で眠るというのはよろしくない場合が多いようです。わたしも学生時代に寝過ごしてだらだらと寝ていたりすると、体がしゃんとせずに帰って動くのが億劫になったりしたものです。

 眠りすぎると、元気が巡らなくなるようです。特に食後まだ食べ物が充分消化されていないうちに眠ると、取り入れた気が充分巡らず元気をなくしてしまいます。

 また、睡眠も癖になってしまい、眠りを好むとますます睡眠時間が多くなってしまいます。眠気というのは抑えるのが難しいものですが、体を動かしたりして眠気をはらうことはできるものです。睡眠過多は元気を失う元となることを銘記しておきましょう。

2012年11月6日火曜日

無事の時、身をおもんじて命をたもつ



生きていれば心穏やかならぬ日もあれば、疲れ果てるまで体を動かさなければならない日もありますよね。当然そんな時に、養生せよ、と言われても難しいです。益軒さんもそこまでは求めていないでしょう。

でも、普段から養生の方法を身につけ、身を重視して命を大切にしていれば、体も心も丈夫で余裕ができているでしょう。また、危急の時でも自然と養生にかなった身の処し方ができるかもしれません。

養生と言う習慣を身につけることが、いざという時にも対処する力を保ち、天命を保つ道なのですね。

2012年11月5日月曜日

安逸なるべからず



 暇な人ならいいかもしれないが、仕事を持つ身で養生を実践する時間などない、という疑念を持つ人がいます。そんな人は恐らく、運動をするとかジムに通うというようなことと養生を同じように時間のかかるものと考えているのでしょう。ところが、養生の道というのは、日常生活の中で体を動かそうというものです。わざわざ時間をかけて行うものではないのです。

 そもそも江戸時代に、スポーツなんていう概念はありません。ジョギングをしようとか筋力トレーニングをしようとか、益軒さんが言うわけがありませんよね。

 要は、心を静にすることと、生活の中で体を動かすということです。体をよく使えば、よく動く体を保つことができます。自転車だって、裏庭に放置していたらあっという間に錆が出ますが、毎日のように使っていればチョイと油をさす程度でよく動きますよね。それと同じです。動かないものは、かえってその寿命を縮めてしまうのです。

 怠惰な日々を送るず、日常生活の中でよく身を動かしましょうね。

2012年11月4日日曜日

養生の術



 テレビで巧の技などが紹介されることがあります。鍛え抜かれた技というものはみるものの感動を誘います。それほどの技とは言えないまでも、私たちの日常にも多くの技があり術があります。料理をする、掃除をする、営業活動をする、広報をする、花を育てるなどなど、日常生活での活動においては、何らかの術やコツが必要となります。そのようなものでもやり方というものを学ぶと学ばないでは、差が出てくるものです。

 養生にも術があります。尊いこの身を養い保つということはとても大切な術であると思います。それを学ばず、知らずに、自分の欲望に任せて生きていては、もともと生まれながらに天から与えられている寿命を全うすることはむつかしいでしょう。

 養生の道をよく学び、身に付け、授かった天寿を病なく保てば、いただいた人生を大いに味わい、楽しみたいものです。

2012年11月3日土曜日

身をうごかし、気をめぐらすをよしとす


 日々の積み重ねが習慣となります。体を動かすことを億劫がり、横になったり座ったりして、体を休めることを好むようになれば、ますます体をうごかさなくなりますね。この状態で食べることを好めば、生活習慣病まっしぐらですね。近年ではPCの前にどっかり腰を据え、手の届くところには食べるもの、なんていう人も増えているのではないでしょうか。キーボードやマウスを操作する手を休め、ちょくちょく体をねじったり深呼吸をしたりしましょうね。

 体を動かさなければ元の気がめぐらなくなり、食によって取り入れる気も滞って、病を得やすくなるでしょう。

 食後にはすぐ横になったれせず、数百歩くらいゆっくり歩いて、気をめぐらし、消化を良くしましょう。日常の中で、仕事のなかで、自分のなすべきことを勤め、体を使いましょう。食は控えめに、身体の活動は活発に、というのがどうも良いようですよ。現代人の生活は、どうもこの正反対のような気がします。現代でも農業を営む方は、いつも体を動かしている必要があるので、元気な方が多いのだろうと思います。

 まあ、早めに病気になってこの世とおさらばしたいという向きがあれば、いつもゆったり座り、横になり、眠り、かつよく食べるという生活をお勧めします。

2012年11月2日金曜日

人の命は至りて重し

 天地宇宙の年齢に比べれば、一人の人生など一瞬の出来事です。せいぜい百年程度の時間しか在りません。できるならただでさえ少ない時間をさらに短くするような無茶は避けたいものではありませんか。養生の心得をちょっとでも身につけて、これならできるという方法を一つでも実行して、日々を大切に味わって生きたいものです。

 また、養生によって健康寿命を延ばし、理想的には寿命が尽きるまである程度自分の意思で活動できる状態でいることができるようでありたいものです。

 限りある人の命というのはとても重いもの。養生の道をないがしろにしてそれをさらに短くするようなことは避けたいものです。

2012年11月1日木曜日

およそ人の楽しむべき事三あり



人として生まれてきて過ごしていく人生で、楽しんだほうがよいことが三つあるようです。それは以下の三つです。

  人の道にはずれず、穏やかな日々を楽しむこと。
  健康であり、快く過ごせることを楽しむ。
  長命であり、人生を長く楽しむ。

これらを楽しみ、人の生を味わうためにも、養生は欠かせません。いずれ死にゆくわけですが、それまでは心穏やかにこれら三つのことを楽しみたいものです。これら三つの楽しみを損なうようであれば、世間で成功と言われるようなことを達成しても、人生の真の喜びを得ることは難しいのかもしれません。